2026年までのワールドカップの歴史を振り返る、GOALの特集記事およびポッドキャスト・シリーズ【LEGACY】。毎週、サッカー界を代表する強豪国が形作られてきた物語とレガシーに迫る。今回はアルジェリア代表編。1982年の悲痛な敗北から2014年の誇りに至るまで、「アルジェリアの夢は決して死なない」ことを世界に示したチームの物語である。
が1982年の夏、小さなスーツケースとノート、そして書類の間に隠した緑と白と赤の旗を持った若者まるで隠れるようにいた。
単なる大会の取材ではなかった。世界の舞台でアルジェリアの夢が生まれる瞬間をこの目で確かめるため。スペインへの旅は仕事ではなく、もはや運命だった。政治では成し得ないことを、サッカーなら可能だと信じていた——たとえ90分間だけだとしても、世界に我々の声を届けることができると。
スペインの列車は北へ向かって揺れながらヒホンへと進んだ。車内には世界中のファンが詰めかけていた。帽子をかぶったドイツ人、興奮したスペイン人、そしてアルジェリアの小さなグループは疲労と長旅にもかかわらず、旗を振っていた。彼らを見つめながら思った――この列車には『これから生まれる夢や記憶、涙の数々がどれほど詰まっているだろうか』と。
車内でエル・パイス紙を購入すると、「ドイツにとって楽な試合。驚きは期待できない」との見出しを目にした。キッカー誌では「アルジェリアには熱意がある…だが、サッカーには熱意以上のものが必要だ」とも。それらを見て微笑んだ。彼らの傲慢さが相手を過小評価させるのかどうかはわからなかったが、アルジェリア人一人ひとりの内に決して侮ってはならない何かが宿ることは確信していた。
スタジアムは大盛り上がり。淡い太陽の下で芝生が煌めき、まるで空そのものが奇跡を待っているかのようだった。緑のユニフォームを纏ったアルジェリアが険しい表情のドイツと対峙する。ラバ・マジェルは剣のように輝き、ラクダル・ベルーミは歴史が勇敢な者を味方にすることを知る男の自信に満ちた笑みを浮かべていた。
マジェルの先制点で席から飛び上がった。ペンが手から落ち、かつてないほど叫んだ。欧州のスタジアムで初めてアルジェリアの国旗が掲げられるのを目に。ドイツの同点弾で一瞬の緊張が走ったが、ベロウミがゴール。アルジェリアがドイツに2-1でリードした。
我々は目の前の光景を信じられなかった。ドイツ人記者たちさえも数秒間沈黙し、混乱しながら記事を書いた。翌日、新聞は世界の声を代弁した。『ル・モンド』では「アルジェリアは傲慢なドイツに尊厳のレッスンを授けた」と記せば、『ガーディアン』も「この試合は欧州のアフリカサッカー観を変える」と主張。さらに、『ビルト』は「我々は衝撃を受けた…予想外。ドイツの屈辱だ」と綴った。
あの夜、眠れなかった。アルジェリアのサポーターたちは夜明けまでヒホンの街で歌い続けた。アルジェリアは単なる勝者ではなかった。W杯でドイツを破った初のアラブ人だったのだ。
数日後、グループ最終戦となるドイツvsオーストリアの結果を待つ。アルジェリアに必要なのは公正な結果だけだった。ところが、彼らは隠された協定の犠牲者となった。
1982年6月25日での出来事はW杯史上の汚点となった。ドイツが10分に先制すると、試合は凍りついた。ショートパス、抗議の笛、スタンドからのブーイング。選手たちが沈黙を約束したかのようだった。攻撃も、情熱も、サッカーも存在しなかった。
隣のスペイン人記者は「¡Esto es una vergüenza!(なんて恥辱だ!)」と呟いた。スペイン人サポーターは「¡Fuera! ¡Fuera!(出て行け!出て行け!)」と叫んだ。実況アナウンサーさえも抗議の意を込めて沈黙した。
報道陣席は呆然と座り込み、世界中が見守る中で勝ち点が盗まれたと悟った。タイムズ紙は翌日に「ヒホン…スポーツマンシップが死んだ日」と記した。アルジェリアでは人々が街に繰り出したが、泣くためではなく、誇りを持って、だ。あるサポーターは国営テレビで「我々は尊厳を勝ち取った…そして一枚の偽りの布に敗れた」と語っている。
ヒホンでの敗戦から4年、アルジェリアは傷が癒えたと思っていた。しかし、現実は夢が消えることはなかった。き栄光の重みを背負う新世代と、遠くから見守り微笑みながら歓喜を待つ古参たちで、メキシコでのW杯に帰還した。
あの激しいメキシコの太陽の下、黄ばんだ紙にレポートを書きながら、パスの一つひとつ、歓声の一つひとつにヒホンの記憶を重ねていた。忘れるわけがない。
北アイルランド、ブラジル、スペインという厳しいグループに入り、まるで運命が再びアルジェリアを試そうとしているかのようだった。北アイルランド戦ではジャメル・ジダンの見事なゴールで1-1の引き分け。あの得点後のスタジアムに広がった歓喜の声は決して忘れられるものではなく、アルジェリア人の心に希望が満ちるものだった。だが、ブラジル戦では選手たちの目に恐怖と決意が入り混じった様子が見て取れ、まるでマジェルとその仲間たちが「結果がどうであれ、私たちは忘れ去られない」と囁いているかのようだった。66分、アルジェリアは決定的な失点を喫した。
第3戦のスペイン戦では絶望感が漂い始めた。アルジェリアはキックオフ前から敗北を覚悟してピッチに立ち、0-3の敗戦で大会を終えた。確かに旅は早く終わったが、我々はヒホンのときと同じく歌いながら、胸を張ってピッチを後にした。「スコアでは負けても、信念は決して負けない」という感じで、だ。
あの大会は勝利の香りと裏切りの痛みを共に背負った黄金世代の別れを告げるものだった。そして沈黙の時代が訪れた。アルジェリアがW杯から姿を消して年月が経ったが、心やノートから決して消えたことなど決してなかった。
アルジェリアサッカーが混乱と失望の渦に翻弄される中、何十年もの歳月が流れ、世代はW杯の味を知らずに育った。しかし、2000年代末、再び芽が吹き始めた。
2009年、運命は再びW杯予選で呼びかけた。エジプトとアルジェリアの激しい対決が誇りと名誉の記憶を蘇らせたのだ。アルジェリアでは人々の心臓が歴史のリズムに鼓動した。カイロでは緊張が燃え上がった。両チームは勝ち点で並び、決勝プレーオフを余儀なくされるなど、単なる試合ではなかった。夢を見る権利を求める国家の物語だった。
決戦はスーダンのオムドゥルマンで行われた。あの夜は決して色褪せない。書類と携帯電話を握りしめ、震えながら、そこに向かった。スタジアムは満員で、旗が翻り、ゴール前には涙が流れた。そして40分、声が枯れるまで叫んだ。見知らぬ男に抱きつき、アルジェリア人なのか、アラブ人なのかなど、どうでもよかった。とにかく1つの民、1つの鼓動だった。
オムドゥルマンを揺るがしたあの歓声は言葉にできない。今もなお、胸に刻まれる。伝説は完結した。アルジェリアは24年ぶりにW杯出場を決めたのだ。
ヨハネスブルグに着いた時、アフリカ全体の歓迎を感じた。アルジェリアの国旗がいたるところで翻り、応援歌も国歌そのもののように響き渡った。
スロベニア、イングランド、アメリカと対戦し、アルジェリアは多くの得点を挙げられなかったが、それ以上に大きなものを手に入れた。存在そのものだ。
W杯でカッサマンを聴くだけで歓喜の涙を流す20歳の若者を見て、「たとえこの世代がヒホンを知らなくとも、少なくともアルジェリアが二度と死なないことは知るだろう」と思った。アルジェリアは早期敗退したが、命を取り戻し、それは4年後のブラジルで起こるより大きな何かへの序章だった。
2014年、スタジアムに足を運べなかったが、代わりにバブ・エル・ウエドの質素なカフェに座り、若者たちに囲まれながら観戦した。彼らのほとんどはヒホンで戦ったときにはまだ生まれていなかった者ばかりだ。
壁にはベルーミとマジェルの古い写真がかかっていた。かつてドイツを屈服させた英雄たちだ。小さなテレビ画面の隅で、アルジェリアの国旗がはためく。「ヒジャンの奇跡は再び起こるのか?」と呟いた。二度とあの絶望を味わいたくなかった。
誰もが無言だった。聞こえるのは恐怖と不安、そして希望に胸を高鳴らせる鼓動の音だけ。ライス・エンボリは火と鉄のようなシュートを次々と防ぎ、イスラム・スリマニが攻め立てる一方で、マヌエル・ノイアーは10人目のディフェンダーのように立ち回った。一分一秒が戦いとなり、一球一球が叫び声のようだった。試合は壮絶なマラソンにも感じた。
ドイツは90分に得点できず、延長前半2分にアンドレ・シュールレが先制点。絶望。そして終了間際にメスト・エジルが追加点を決めた。だが、アルジェリアは諦めなかった。120分、アブデルムメン・ジャブが反撃のゴールを叩き込んだ。カフェは大盛り上がり。そのゴールは我々の誇りの叫び、ヒホンへの答えだった。
隣の若者が涙を流しながら「おじさん、今日は僕たちが82年のあなたたちのように胸を張ったんだ」と言った。彼を見て、ヒホンがついに微笑んだと確信した。試合には勝てなかったが、誇りを取り戻したのだ。
試合後、世界の論調は変わった。『BBC』は「アルジェリアは負けたのではない、世界の尊敬を勝ち取った」と報じた。『シュピーゲル』は「アルジェリア人はヒホンの亡霊を蘇らせ、誇りと尊厳を再定義した」と記し、アルジャジーラの記者は「ヒホン戦は陰謀だった。ポルト・アレグレでの高貴な復讐――未完ながら名誉あるものだった」と綴れば、『ル・モンド』も「アルジェリア、ドイツを震え上がらせ、崖っぷちを垣間見せたチーム」と見出しを掲げた。
リベンジを成し遂げたわけではないが、尊厳を取り戻し、歴史を取り戻したのだ。
1982年のスキャンダル後、FIFAはすべてのグループリーグ最終戦を同時開催とすることを決定した。一見して単純なこのルールは公平性を保証するためのものだった。これに対し『ワールド・サッカー・マガジン』は「ヒホンの試合は無駄ではなかった。W杯を永遠に変えたのだ」 と記した。
こうしてアルジェリアの名はFIFAの記憶に刻まれた。予選突破を逃したチームとしてではなく、理念のために勝利したチームとして、だ。それは不完全な勝利ではあったが、サッカーそのものに正義をもたらした。今日に至るまで、マジェル、ベロウミ、そして彼らのチームメイトはサッカーの良心のなかで不滅の存在であり続けている。