1988年のセ・リーグは星野仙一監督率いる中日が優勝した。先発陣の一角を担った左腕の杉本正氏(野球評論家)はV決定試合の10月7日のヤクルト戦(ナゴヤ球場)に先発して5回無失点で勝利投手になった。しかし、レギュラーシーズンは6勝と不本意な数字。1勝4敗に終わった古巣・西武との日本シリーズでは第4戦(10月26日、西武)に先発したが、3回0/3、3失点で敗戦投手となり、結果を残せなかった。実は肘の状態が万全ではなかったのだという。遡ると沖縄キャンプの“悲劇”がきっかけだった。
中日が優勝を決めた瞬間に、ナゴヤ球場のスタンドから多くの観客がフェンスを越えてグラウンドになだれこんだ。星野監督の歓喜の胴上げが始まった時には、もはや周りは人だらけ。終わってからはもみくちゃで、監督も、選手も、コーチも逃げるようにベンチへと引き揚げた。その試合で勝利投手になった杉本氏も「僕も(胴上げの)輪の中には入ったんですけど、帽子とかを取られたりしましたね」と振り返った。それもまた壮絶な経験だった。
日本シリーズの相手は西武。杉本氏にとっては1980年ドラフト3位で入団し、4シーズンを過ごした古巣だけに感慨深いものがあった。だが、白星はつかめなかった。「4戦目に先発させてもらって、秋山(幸二外野手)に(本塁打を)打たれて……。あそこは、もうちょっと頑張りたかったなとは思いましたけどね」。3回に笘篠誠治内野手の2点二塁打で先行され、4回には秋山外野手にソロ弾を浴びての3失点降板で敗戦投手になった。
「秋山の弱点は低めだとわかっていたのに打たれるポイントの方に投げてしまった。相手(先発)は森山良二だったんですよね。(1986年西武ドラフト1位の)新人に(0-6の2安打で)完封負け。勝てなかったですねぇ。あの時は開幕戦(第1戦、10月22日、ナゴヤ球場)で小野(和幸投手)が清原(和博内野手)に場外に打たれて……」。小野投手は1987年オフに平野謙外野手とのトレードで西武から中日に移籍しており「西武から来た小野と僕がやられてねぇ」と杉本氏は苦笑いを浮かべた。
この年の杉本氏は23登板、6勝6敗、防御率3.94。前年(1987年)13勝から勝ち星を減らしたが、これには左肘の状態が関係していた。「(2月の)沖縄(1次)キャンプの最後にアメリカンノックを受けて、捕ったら終わりというプレーの時にダイビングキャッチして右肩から落ちてね。そんなのはマッサージしたら大丈夫だろうと思っていたら全然動かなくて、その後の(米国フロリダ州の)ベロビーチ(2次)キャンプに行けず(2軍キャンプ地の宮崎)串間に行ったんです」。
まさかの怪我で1軍から離れて焦りもあったのだろう。その時に無理をしてしまったという。「やめときゃいいのに三角巾でつったまま、ブルペンで投げていたんですよ。それで左右のバランスが悪くなって肘に負担がきたんでしょうね。今度は左肘がおかしくなったんです」。この故障がこの先にも響いた。シーズン開幕には間に合わせたものの「肘の状態はあまりよくなかったです。ずっと引きずっていた感じでした」。完投数が多いのも杉本氏の特徴だが、この年は1勝目を挙げた5月10日の阪神戦(金沢)で完封しただけだった。
「調子が悪くてね。横浜スタジアムの試合(7月3日の大洋戦)で打たれて2軍に行けって通告されました」。先発して1回途中、4失点でKOされて、シーズン6敗目を喫した試合で「投げている時から(星野)監督は怒鳴っていたみたいです。降板してベンチに帰ったら(周囲から)『監督は“もうファームに行かせろ!”って言っていたぞ』と言われて、本当にファームでした。そのまま荷物を持って新幹線で移動しました」。
中日はこの7月1日から3日までの大洋3連戦(平塚、横浜)と5日から7日までの巨人3連戦(旭川、札幌円山)に全部負けて、6連敗。8日に札幌から名古屋に戻った中日ナインは空港からナゴヤ球場に直行し、ベースランニングからやり直しの練習を行い、それをきっかけに7月はその後、6連勝し、ひとつ負けてまた6連勝の12勝1敗。8月も7連勝など15勝5敗3分けと勝ちまくってVへと突き進んだ。
7月8日のナゴヤ球場練習は1988年の中日優勝のまさにターニングポイントになったが、杉本氏はその時、2軍再調整中だった。1軍に戻ったのは8月に入ってからで、その年の6勝のうち4勝は9月下旬と10月に挙げたもの。「最後の方の勝ちはおまけみたいなものだったんだろうと思う」というほど、苦しいシーズンだった。
それでも「順番でたまたま(先発が)僕に回ってきたんですけど、(リーグ)優勝(決定)に携わる(10月7日の)試合に投げられたっていうのは良かったなとは思います。不甲斐ないシーズンだったけども、そうやって(5回無失点投球で)勝てたことは自分の中で良かったな、というふうには思いましたね」。日本一は古巣に阻まれたが、リーグ優勝を西武時代に続き、中日でも味わうことができたのは杉本氏にとって大きな財産になった。
ただ悔やまれるのは、沖縄キャンプでのダイビングキャッチで肩を痛めたこと、そして串間2軍キャンプで無理をして投げたのがたたって肘を痛めてしまったことだろう。「その後、肘はどんどん悪くなっていったんですよね」と杉本氏が話したように、それが故障との闘いの“始まり”にもなった。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)