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小学生の卒業アルバムに「猛虎愛」 関西人気女性アナの原点…阪神を“追いかけて”入社

FullCount

読売テレビ・諸國沙代子アナウンサー、「猛虎愛」のルーツ

 関西の読売テレビに入社して11年目の諸國沙代子アナウンサーは、プロフィール欄に「プロ野球観戦、阪神タイガースの応援」と書いてあるほどの大の野球好きだ。昨年8月には阪神2軍戦で実況デビューを果たすなど、尽きることのない阪神愛を貫き活躍の場を広げている。いったい、その原動力はどこにあるのか直撃した。

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 1992年3月生まれの諸國アナは岡山県出身。ラジオで阪神戦を欠かさずチェックしていた母の影響で父もファンに。祖父母に至っては「阪神が負けると機嫌が悪くなり、勝つと上機嫌になる」というほど。家の中には常に阪神があり、諸國アナも虎党に染まるのも自然の流れだった。

 人生の大きな転機となったのは、阪神が1985年以来18年ぶりのリーグ優勝を決めた2003年9月15日だった。星野仙一監督がインタビューの第一声で「あ〜しんどかった」と名ゼリフを残した夜だ。

 小学6年生だった諸國アナは家族とともに甲子園球場を訪れており、歓喜の瞬間を目に焼き付けていた。「360度、阪神ファンで囲まれていました。大地が震えるような、本当の地響きがしていました。大人たちがみんな泣いて喜んでいる姿が忘れられなくて……。人生で一番興奮した瞬間でした」。圧倒的な景色は強烈なインパクトを残し、夢への“輪郭”が浮かんだ瞬間でもあった。

「アナウンサーになれば大好きな野球中継に関われるのではないか」。小学校の卒業アルバムには、好きな言葉に「猛虎」。将来の夢には「スポーツアナウンサーになりたい」と記した。

 東大へ進学後も熱意は増すばかり。4年時には関東で開催されたすべての阪神戦を現地観戦した。憧れの道へ進むべく就職活動にも励み、3年時に阪神戦を中継する読売テレビへの内定を勝ち取った。

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Full-Countのインタビューに応えた読売テレビ・諸國沙代子アナウンサー【写真:神吉孝昌】

諦めかけた「スポーツアナウンサー」への道…転機となった先輩の勧め

 晴れて2015年に入社することになったが、アナウンサーという職業は高い“壁”の連続だった。「特に新人の頃は“正解がない”仕事だけに非常に苦しみました。100点満点の答えがなく、現場ごとに求められる役割が異なることに、長く悩んだ時期もありました」。目の前の仕事をこなすだけで精一杯だった。

 報道やバラエティ番組で経験を積む日々。「スポーツアナウンサーとして野球に関われることはもうないかな、と思っていました。環境的にも難しいと考え、自分の思いを口にすることすらなくなっていました」。

 しかし、入社8年目の2022年に新たな転機が訪れた。当時アナウンス部長の小澤昭博アナウンサーからスポーツ担当を勧められたことだった。「声をかけていただけるとは思っていなかったので、本当に嬉しかったです」。ここからVTRディレクターやベンチリポートの担当として、野球の現場へ足を運ぶことになった。

 夢だった野球中継の仕事に辿り着いたが、新たな苦悩も生まれた。「膨大な取材をしても、リポートで話せるのはほんの一握り。100準備して10を出せれば良い方です。いかに良い取材をしても、それをどう伝えれば視聴者やファンに一番届くのか、自問自答する日々です」。

 2023年には阪神の開幕戦で初のヒーローインタビューを担当した。しかし、その舞台で「私にとっては『黒歴史』なんですが……」と振り返る手痛い経験をする。「最初、どういうテンションで行くべきか分からなくなってしまって。ファンとしての気持ちが先行して、選手よりも喜んでしまったんですよね(笑)。あまりにもテンションが高い声でインタビューをしてしまいました。あとから社内でも厳しく注意を受けました……」。

 落ち込む諸國アナを救ってくれたのは視聴者の声だった。SNSには「ファンと同じ目線で選手にインタビューしてくれた」など、熱量を肯定する温かい言葉が並んだ。「あの時は本当にほっとしました」。

 理想と現実のギャップに悩み、時には失敗を繰り返しながら、スポーツアナウンサーとして着実に階段を上がっていった。(神吉孝昌 / Takamasa Kanki)