「イタリア人はもっと上手くやる」とは1987年にマドンナが有名にしたフレーズだが、ロンドンのスタンフォード・ブリッジ近辺では、イタリアはまさに高品質を保証するブランドとなっている。チェルシーFCとイタリア人の組み合わせは、過去30年近くにわたって、多くの場合はポジティブな結果をもたらしてきた。
ブルーズのベンチで歴史を作ったイタリア人監督は多い。1年目で2つのトロフィーを獲得してみせたエンツォ・マレスカも新たな好例だ。下馬評から圧倒的優位が予想されていたUEFAカンファレンスリーグでは、最終的にブラチスラヴァの空にカップを掲げることに成功。そしてFIFAクラブワールドカップでは、前評判ではトップクラスの評価ではなかったにもかかわらず最終的に勝利を飾るサプライズを引き起こした。
チェルシーの歴史を通して実に7人のイタリア人監督がチームを率い、数多くのタイトルをクラブにもたらした。ジャンルカ・ヴィアッリ、クラウディオ・ラニエリ、カルロ・アンチェロッティ、ロベルト・ディ・マッテオ、アントニオ・コンテ、マウリツィオ・サッリ、エンツォ・マレスカの7人である。
選手兼監督という珍しい形から、のちにベンチでの仕事に専念した一人目のジャンルカ・ヴィアッリは、チェルシーで最も多くを勝ち取ったイタリア人指揮官でもある。1998年にカップウィナーズカップ、リーグカップ、欧州スーパーカップ、2000年にチャリティ・シールドとFAカップ、合計5つのタイトルを手に入れている。
ヴィアッリの直後には、クラウディオ・ラニエリが4シーズンにわたってブルーズのベンチに座った。戦力の乏しいメンバーでタイトルを獲得するには至らず、“ティンカーマン(下手な修理工)”と呼ばれることになってしまった。
ラニエリから5年間の間隔を経て、ロンドンのクラブで次にベンチに座ったイタリア人はカルロ・アンチェロッティだ。1年目のシーズンに、アンチェロッティはコミュニティ・シールド、プレミアリーグ、FAカップと実に3つもの国内タイトルをもたらした。翌シーズンにはその成功を再現できなかったものの、強い好印象をサポーターに残してクラブを去った。
チェルシーの歴史上最も重要な1ページを記した男もイタリア人であり、アンドレ・ビラス・ボアスに代わってシーズン途中で就任した監督だった。ロベルト・ディ・マッテオである。3月にチームを引き継いだディ・マッテオは、ブルーズの監督になってわずか2カ月でUEFAチャンピオンズリーグ優勝。クラブ史上最も価値あるトロフィーを掲げた。
2016年7月には、イタリア代表監督としてEURO 2016で健闘を見せたアントニオ・コンテがチェルシー監督に就任。チームに新たな戦術的指向をもたらし、3-4-3はブルーズの象徴的システムとなった。わずか1シーズンでコンテは前年10位のチームを常勝軍団へと変貌させ、38試合で30勝とプレミアリーグを圧倒。翌年にはFAカップを勝ち取り、さらにそれ以上の結果を残すこともできたのではないかという感覚を残しつつクラブを去った。
コンテの後任となったのもイタリア人のマウリツィオ・サッリ。ナポリの監督として期待を裏切り、大きな痛みを残して退任した直後だった。サッリがチェルシーの指揮を執ったのは1シーズンのみだが、アーセナルとのロンドンダービーとなった決勝を制してUEFAヨーロッパリーグ優勝の価値あるタイトルを獲得。しかし、すぐにブルーズと別れてイタリアへ戻りユヴェントスの監督となったため残念な思いが残った。
チェルシーFCとイタリア人監督によるラブストーリーの最終章は2024年夏にスタート。エンツォ・マレスカは監督としての最初のシーズンから早くもハッピーエンドを迎える。ユヴェントスやセビージャなどの元ミッドフィルダーはペップ・グアルディオラの教え子であり、レスター・シティをプレミアリーグ昇格に導いたばかりだった。数カ月間の順応期間を経て、自身のシステムを通してブルーズのメンバーが秘めた無尽蔵の才能を最大限に発揮させることに成功し、シーズンの目標の多くを達成することができた。
序盤はコンディション面での苦戦もあったが、2025年に入ってチェルシーは最高レベルに達した。プレミアリーグでは追い上げを見せ、最終的にチャンピオンズリーグ出場権を獲得することに成功。そして国際レベルでは2つの成功を成し遂げた。まずはベティスとの決勝を4-1で制してカンファレンスリーグ優勝。クラブワールドカップではメットライフ・スタジアムでパリ・サンジェルマンとの最終決戦に3-0の快勝を収めて優勝を飾った。