ブラジルの巨人フラメンゴは、CONMEBOLを代表してFIFAクラブワールドカップ2025に出場するクラブのひとつとなる。
スター揃いのメンバーを擁し、推定5000万人近いファンを持つリオデジャネイロのクラブは、地球上で最も人気の高いクラブのひとつ。ブラジル代表を率いて2018年、2022年の2度のFIFAワールドカップを戦ったチッチ監督のもと、世界制覇に挑む来年の戦いを早くも楽しみにしている。
ここではブラジルの伝統クラブが世界大会出場権を手に入れた経緯や、過去に赤と黒のユニフォームを身にまとった伝説的な選手たちなどについて紹介する。
フラメンゴは2022年にCONMEBOLコパ・リベルタドーレスで3度目の優勝。決勝ではアトレチコ・パラナエンセとのブラジル対決を1-0で制した。この成功によりFIFAクラブワールドカップ2025の出場チケットを予約することになった。
決勝は中立地での一発勝負で開催。リベルタドーレスで決定的なパフォーマンスを見せ続ける“ガビゴウ”ことガブリエウ・バルボーザが試合の唯一のゴールを奪った。2019年決勝でリーベル・プレートに鮮やかな逆転勝利を飾った際にも2得点の両方を決めたのがガビゴウだった。
クルービ・ジ・レガッタス・ド・フラメンゴは1895年、当初はフラメンゴ近辺の若者たちによるボートクラブとしてリオデジャネイロで設立された。リオ地域の他チームとボート競技で争うことが当初の目的だったが、その後クラブは他のスポーツにも手を広げていき、サッカー部門は1911年に誕生した。
初期にはリオデジャネイロ州選手権など地域タイトルを獲得。1940年台には、若きペレが最初に憧れたサッカー選手だったジジーニョが象徴的存在として現れた。フラメンゴが全国的な強豪となるには数十年を要したが、1980年代に迎えた黄金時代は長年待っただけの甲斐がある素晴らしさだった。
ブラジルサッカー界でいずれも伝説的存在となったジーコやジュニオール、レアンドロらを擁し、チーム自体も伝説を築いた。“オ・ルブロ・ネグロ”は1980年、1982年、1983年にブラジル全国選手権優勝を飾り、1981年にはコパ・リベルタドーレスも制覇。同年のインターコンチネンタルカップもリヴァプールを3-0で破って獲得した。
2000年代から2010年代にかけては浮き沈みを経験し、比較的無名なメンバーで戦ったシーズンもあった。それでも2009年には国内王者に輝き、トップリーグの座は常に守り続けてきた。ブラジルの伝統的強豪クラブの中でも、現在までトップリーグから一度も降格を経験していないのはフラメンゴとサンパウロのみである。
クラブに施された精力的な全面改革は功を奏し、多くのトロフィーやスター選手たち、改善された設備を手に入れる結果となった。2020年代末にかけてフラメンゴはブラジルと南米サッカー界の頂点に返り咲き、2度の国内制覇(2019年、2020年)と2度のリベルタドーレス優勝(2019年、2022年)を達成。ガブリエウ・バルボーザやジエゴ、フィリピ・ルイスなどクラブの象徴となる新たな選手たちも台頭してきた。
クラブが国内タイトルと大陸タイトルを手に入れ、ほぼ完璧な歴史的シーズンを過ごした2019年は、すべてのフラメンゴファンにとって夢の1年となった。FIFAクラブワールドカップ決勝でリヴァプールとの名門対決に0-1の敗戦を喫し、1981年のリベンジを許したことだけが唯一の挫折だった。
“王様”ペレが何度も自ら認めている通り、彼が最初に憧れたサッカー選手だった。
ジジーニョはブラジルサッカー界のスター選手として、レオニダス・ダ・シウバの後継者であり、ペレが彼の後継者だと言われる。才能の面でも、州選手権のタイトル獲得の実績面でも、またサッカーにもたらした改革的インパクトという面でも、フラメンゴのレジェンドと位置づけられる。FIFAワールドカップの歴史においても、1950年に大会ベストプレイヤーに選出されており、世代を超えて永遠に語り継がれる存在。
ピッチ上での天才的なプレーとクラブに対する正真正銘の愛情によって、ジーコは間違いなくフラメンゴの象徴的存在となっている。“キンチーノの雄鶏”は絶品のテクニックや並外れたプレービジョン、そしてチームを勝利に導く唯一無二の能力によってフラメンゴで輝きを放った。強いリーダーシップを発揮し、ファンとの間に強い結びつきを築いた彼は、フラメンギスタのみならずサッカー界全体から伝説的存在として広く尊敬を集めている。
ジーコはフラメンゴで栄光に満ちた時間を過ごし、クラブ史の中で大きな部分を占めている。1980年、82年、83年のブラジル全国選手権優勝や1981年のコパ・リベルタドーレス優勝をはじめ、背番号10を背負って多くの州タイトル、全国タイトル、国際タイトルをもたらした。決定的なゴールを自ら決める以上にフラメンゴのオーケストラを指揮する存在であり、無数のアシストを供給してチームメイトたちから最高の力を引き出すことができた。
“マエストロ”・ジュニオールともジュニオール・“カパセーチ(ヘルメット)”とも呼ばれるが、ニックネームが何であれ、クラブとの間に築いた強固な結びつきを考えれば、ジュニオールは“フラメンゴ”姓を名乗ってもおかしくはない。左サイドバックやミッドフィルダーとしてプレーした多才な選手であり、ピッチ上では戦術の鍵を握るリーダーであるとともに、プロ意識を体現する存在だともみなされていた。
ジーコやレアンドロ、アジーリオらとチームメイトとして過ごしたジュニオールは、1981年のリベルタドーレス制覇、1980年と1982年のブラジル全国選手権優勝を達成。35歳となった1989年には、彼がこのクラブでプレーする姿を見たことがなかった息子の頼みを聞いてフラメンゴに復帰し、“フラ”をもう一度ブラジル王者に導く助けとなった。