近鉄バファローズは1979年、球団創設以来、30年目にして初のリーグ優勝を成し遂げた。前期に優勝し、プレーオフで後期優勝の阪急を3勝0敗で下した。当時の猛牛主砲の栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)にとっては、キャリアハイの32本塁打を放ったプロ6年目シーズンだ。そこには思い出深い一発が……。会心の“確信歩きアーチ”もあったし、記録に残らなかった“幻のホームラン”も忘れられないという。
1979年の近鉄は6月26日の南海戦(大阪)に9回1-1の引き分けで前期優勝を決めた。前年(1978年)オフにヤクルトからチャーリー・マニエル外野手をトレードで獲得(ヤクルト・マニエル、永尾泰憲内野手と近鉄・神部年男投手、佐藤竹秀外野手、寺田吉孝外野手の2対3の交換トレード)。その大砲助っ人が6月9日のロッテ戦(日生)で顎に死球を受けて一時離脱した中、2位・阪急の猛追をかろうじて振り切った。
「(6月26日に)前期優勝を決めた試合は、平野(光泰)さんが、センターからのバックホームでアウトにしたんだったよねぇ」と栗橋氏は懐かしそうに話す。1-1の8回に近鉄は2死一、二塁のピンチ。ここで南海の代打・阪本敏三内野手が中前打を放ったが、打球を処理した平野が本塁へ好返球し、二塁走者の生還を許さなかった。近鉄先発の村田辰美投手も踏ん張って完投しての引き分け優勝だった。
栗橋氏はその前期に12本塁打をマークした。6月13日の阪急戦(西京極)では4番左翼で出て、3-3の延長10回表に阪急エース・山田久志投手からスコアボード直撃の11号2ランを放った。「あれは素晴らしいホームランだったよ。その前に(途中から3番に入っていた)吹石(徳一)に、失礼だけど、デッドボールでもエラーでも何でもいいから塁に出ろと言った。俺も自信があったんだろうね。そしたら(吹石の内野ゴロを阪急サードの)島谷(金二)さんがトンネルしたんだよ」。
そして栗橋氏の豪快弾が飛び出した。「シンカーだった。パカーンって打ったらスコアボードの何回部分かは忘れたけど、0ってところにドーンって当たった。ライナーだったし、勢いもあったし、あれは距離もかなり行っていたかもしれないね。手応えも十分。センターに打って、走らなかったからね」。試合はその裏に追いつかれ、延長10回5-5の引き分けで終わったが、会心の“確信歩きホームラン”として、脳裏に刻み込まれているようだ。
そんな前期で、さらに印象に残っているのが「幻のホームラン」という。「(日本ハムの)間柴(茂有投手)から藤井寺球場でね。負けていて、5回2アウトから俺を抑えれば、試合成立でハムの勝ちになるところで、ちょっと粘って、もう雨でビショビショになりながら粘って、間柴からライトに(追撃の)ホームランを打った。ゆっくり(ダイヤモンドを)回ってかえってきて、ベンチに戻ったら、中止(ノーゲーム)になったんだけどね」。
もしも、栗橋氏が凡退していれば、近鉄の負けだっただけに「やばかったんだよ、あれ。あの試合に負けていたら、前期の優勝はなかったんだからね。もうギリギリで、最後は(6月26日に)引き分けで優勝したわけだからね。マニエルがアゴに当たってから、阪急が、どんどんどんどん来て、ホントにやばかったんだから」と話す。試合不成立で記録には残らなかった本塁打だが、終わってみれば、まさに価値ある一発になったわけだ。
「俺ね、(通算で)幻のホームランが3本あるんだよ。その時の間柴と(ロッテの)奥江(英幸)さんと(西武の)高橋直樹さんからね。高橋直樹さんの“幻”は西武球場で外のスライダーをバシーンと左中間に打ってホームラン。それが雨でノーゲームになった。幻が3本って、そんな人、あまりいないんじゃないかなぁ。1本あったって、みんなブツブツ言っているもんね」。NPB通算215本塁打の栗橋氏だが、本当はあと3本プラスされていたところ。伝説の強打者は笑いながら幻弾を振り返った。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)