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後の巨人1億円選手に「プロはやめた方が」 節穴だった目…高梨雄平の天井を見誤った懺悔

FullCount

「逆算力――“才能”に挑んだ高梨雄平の生存戦略」番外編記者コラム

 記者として、ずっと恥じていることがある。「プロ野球はやめておいた方がいい」。後に巨人で1億円プレーヤーになる高梨雄平に、私はそう思っていた。連日配信したFull-Countのインタビューシリーズ「逆算力――“才能”に挑んだ高梨雄平の生存戦略」。番外編として今回の取材を担当し、大学時代から高梨を知る記者の“懺悔”を通して「合理」や「確率」といった言葉で語れない“人間・高梨”を描く。(文=神原英彰)

「カープ女子」が流行語大賞トップ10入りした2014年、師走。LINEで友だち登録したばかりのアカウントから、1通のメッセージが届いた。

「今日、神原さんは待ち合わせの10分前に来てもらえますか?」

 理由は記されていない。とりあえず「了解」とだけ送った。相手は、高梨雄平。彼と初めて食事をした日の夜のインパクトは、今も色濃く残っている。

 早大4年生だった高梨を、当時スポーツ紙のアマ野球担当として取材した。シーズンの終わり。「1年間、お世話になったお礼を」と食事に誘い、連絡先を交換した。

 後輩も2人連れてきてくれることになり、冒頭のLINEが届いたのは当日昼のこと。

 新宿三丁目交差点。約束通り、待ち合わせ10分前の19時20分に着いた。やがて現れた高梨は、挨拶もそこそこに「今日のお店って、いくらですか?」と聞いてきた。

 なんなんだ、いきなり。

 面食らっていると、さらに驚くことを言い出した。「食事の席では神原さんの奢りということにしてもらっていいので、半額をここで僕に出させてください」。筆者は当時29歳。いくら斜陽産業の安月給でも、大学生に払わせる訳にいかない。

 そんなことを伝えた。ところが、食い下がる高梨の一言に、こちらの顔が思わずほころんでしまった。

「でも……これからも仲良くしていただきたいので!」

 表では“年長者の奢り”という体裁を守って私の顔を立て、一方で、個人の本音をまっすぐ言葉にする。ビジネスマンでも難しい裏の根回し、立ち回りを大学生にしてこなし、ここまで自然に懐に入ってこられる人間がどれだけいるだろうか。

 なんて、人たらしなヤツだ。

 申し出は「気持ちだけで」と断ったが、今になって思えば、手のひらで転がされた私はその夜ですっかり高梨に惚れた。

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巨人・高梨雄平【写真:矢口亨】

節穴だった記者の目「『僕がその想像を超えた』ということで」

 卒業後、高梨は社会人野球のJX-ENEOS(現ENEOS)に進み、プロを目指した。そして、よく一緒に食事に行った。

 居酒屋のカウンターに座れば、隣の席のおじさんサラリーマンと仲良くなり、「兄ちゃん、いいヤツだね!」と1杯奢られる。趣味の料理を極めるため、和食屋の大将の自宅に通って教えを乞う。そんな男だった。

 高校、大学と野球一筋に打ち込んできたエリートほど、野球以外のコミュニティに距離を取る選手も少なくない。だが、高梨はその真逆だった。自分の知らない世界に踏み込み、人と繋がり、環境に順応していく。

 だから、思った。

 野球を引退した後、社業で出世するタイプ。数年でクビを切られるリスクのあるプロ野球はやめておいた方がいいのではないか、と。突出した才能で勝負するより、環境を読み、立ち回る力の方が際立って見えた。ましてチームでは登板機会もほぼゼロ。戦力外寸前という状況で……。

 だが、私の目は節穴だった。

 中3の進路選択、社会人2年目のサイドスロー転向。そこから、わずか4か月で掴んだドラフト9位。

「みんなが“自分の発表会”をやっている間、僕は『こういうの欲しいですよね』と(評価者の)かゆいところに手を伸ばしていた」

 ルーキー12球団最速勝利からセットアッパーになり、巨人移籍、そして1億円プレーヤーに――。

 今回のインタビューで語られた「逆算力」は確かに、プロ野球の世界で通用した。活躍を見るたび、うれしさと同時に、記者として見立ての甘さが恥ずかしくなった。

 取材の最後。本人に「実はあの時、プロには行かない方がいいんじゃないかと思っていた」と正直に打ち明け、懺悔した。

 高梨が「いや、当時の自分のことを気にかけてくれている人がいただけでうれしいですよ」と、かしこまったのは一瞬。「そうですね。『神原さんの目が節穴だったんじゃなく、僕がその想像を超えた』ということで」。あの日と同じように、人の心をくすぐるような返しで笑った。

「ねっ、良いコメントでしょ?」

 見誤ったのは彼の才能ではない。想像の限界を、こちらが勝手に決めていたことだった。(神原英彰 / Hideaki Kanbara)