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現役引退→結婚が転機に「欠員ができた」 元ロッテ左腕が新潟で歩む“第2の野球人生”

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33歳の山口祥吾監督「勝つことの難しさを改めて感じました」

 念願の大会初勝利は目の前にあった。NPB12球団などが小学生のジュニアチームを結成して日本一の座を争う「NPBジュニアトーナメント KONAMI CUP 2025」の大会2日目は27日、横浜スタジアムと神宮球場で行われた。オイシックス新潟アルビレックスBCジュニアは、横浜スタジアムで広島東洋カープジュニアと対戦したが、延長7回タイブレークの末に2-1でサヨナラ負けを喫した。

「この大会で勝つことの難しさを、改めて感じました」。33歳の山口祥吾監督は試合後の会見で思わず唇をかんだ。

 オイシックス新潟ジュニアは昨年、招待チームとしてこの大会に初参加するも2戦2敗。正式参加となった今年も、大会1日目のくふうハヤテベンチャーズ静岡ジュニア戦に5回8点差コールドで敗れていた。しかし2日目のこの日は、6回制の試合の4回終了時点で1-0とリードしていたのだ。

 山口監督自身の人生も“激動”である。神奈川県出身で立花学園高時代はエース左腕として活躍。2010年のドラフト会議でロッテから育成2位指名を受け入団した。しかし支配下登録を勝ち取れないまま、2年間で戦力外通告を受け退団。当時BCリーグに所属していた新潟アルビレックスBCに活路を求めた。

 3年間で通算65試合登板、2勝4敗1セーブ、防御率3.82と奮闘するも現役引退を決意。埼玉県の建設会社に就職した。ただ、新潟アルビレックスBC時代に出会った新潟出身の女性と結婚したことが、結果的に野球との縁をつなぎとめることになる。

「埼玉の会社に2年間務めた頃に第1子が生まれて、子どもを育てる環境を考えた末に、妻の出身地の新潟に行こうか、ということになりました。たまたまアルビレックスのスタッフが1人辞めて欠員ができ、声をかけていただきました」と不思議な巡り合わせを感じている。

 チームが小学生向けに運営する野球塾の専属コーチに就任。チームは昨年からBCリーグを抜け、「オイシックス新潟アルビレックスBC」としてNPBのイースタン・リーグに参加し、山口監督はNPBジュニアトーナメントに出場するジュニアチームの指揮も任されるようになったのだった。

小1の頃から育ててきた教え子が先発・4回無失点の快投

 大会1日目と2日目に続けて先発したエース・水島武蔵投手(6年=山潟レッズ)は、1年生の頃から野球塾で手塩にかけて育ててきた教え子。変化球禁止のルールの中で、上げる足の高さを変えたり、腕の位置を上げ下げしたり、スローボールを投げたりして、相手打者を幻惑する投球術を見せる。山口監督は「私が教えたことではなく、武蔵本人が自分でやっていることです。素晴らしい選手だなと思っています。1年生の頃から見てきて信頼してます」と称賛する。水島くんは「監督はめっちゃ優しくて、野球に対して真面目な人です。一緒に野球をしていて楽しくて、やりやすい人です」とうなずく。

 ただ、4回終了時点で投球数が60球に達して球数制限(70球以内)に近づき、指に血豆もできたことから無失点で降板させざるをえなかった。

 試合は1点リード5回、投手の代わり端をとらえられ同点とされた。そして延長7回の守備。3番手でチームきっての球速を誇る横山龍志郎投手(6年=ユナイツ新潟)が1死満塁のピンチを背負うと、山口監督はマウンドに駆け寄った。「このメンバーで、おまえが打たれるならしょうがない。負けたら監督である俺の責任だから、おまえは思い切って投げろ」と激励した。

 横山くんはここで相手を遊ゴロに仕留め、三塁走者を本塁で封殺したのだが、次打者にレフト線へサヨナラ打を浴び、万事休した。

「本当にあの場面で横山以上の投手はいないですから、しょうがないです。私も見ていて熱くなるものがありました」。山口監督は子どもたちの健闘を称える。

 グループリーグ2連敗で準決勝進出の可能性は消滅したが、チームには大会3日目にも北海道日本ハムファイターズジュニア戦が残されており、山口監督は「なんとか1勝して終わりたいですね」と力を込めた。

 そして「新潟は暮らしやすいですし、地元のチームとして県全体が応援してくれているのを感じています。人が温かいです。アルビレックスのトップチームの選手たちからも、LINEで激励のメッセージが届いています」と感慨深げに目を細めた。

 結婚によってつながった野球との縁を、これからも“米どころ”として知られる第2の故郷で育んでいく。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)