社会人野球・大昭和製紙(富士市)の左腕・杉本正投手(現・野球評論家)は、1980年のドラフト会議で西武から3位指名されて、プロ入りした。その年の都市対抗野球大会でチームを優勝に導き、最優秀選手賞にあたる橋戸賞も受賞したが、ドラフト指名は全く予想していなかったという。プロにも興味を持っていなかったそうで、まさに思わぬ事態に驚きながら、最終的に西武入りを決めたが、その背景には……。
都市対抗で橋戸賞に輝くなど大活躍した杉本氏だが、ドラフト前に「プロからの話は何も聞いていなかったです。会社に(話が)あったのかどうかは知りませんけどね」と振り返る。そもそもプロは別世界と捉えており「プロに興味がなかった。小学校の時の将来の夢には、“プロ野球選手”になりたいと書いたりはしていましたけど、そんなの無理だと思っていましたから。自分がそんなところでやるなんてとんでもないってね。もうこのまま(大昭和製紙に)いて、サラリーマンで、と考えていました」。
それだけに西武からの3位指名は想定外だった。「ドラフトの日も何の準備していなかったし、普通に働いていました。指名されたと聞いて“えーー”っていう感じでした」。そして、大昭和製紙・安藤喜春監督から「(西武の)スカウトが来るから、15時に本社へ来い」と連絡が入ったという。「ドラフトの次の日かな。監督にそう言われたので『わかりました』と言って、その時間に本社に行ったんです」。
このときに憤慨する出来事があった。「本社に行ったら、別室で待たされたんです。2時間くらい待たされて、17時過ぎくらいまでいたのかな。そしたら監督が来て、もうスカウトは帰った、って言うんですよ。(スカウトに)会わせてもらえなかったんです。じゃあ、俺、何しに来たんだよ、それなら呼ぶなよって思うじゃないですか」。なぜ、そうなったのかの説明もなく、杉本氏は監督への不信感ばかりが募ったという。
「(1980年大会に優勝したので)都市対抗には翌年(1981年)も推薦で出られる。もし監督が僕を(会社に)残したかったのなら、正直にそう言えばいいじゃないですか。僕はプロに興味がなかったし、当時は(ドラフトで)指名されても、1年後にプロに入ったりする人も多かったので、“もう1年残ってくれないか”って言われたら“わかりました”と返事したと思う。ただ、そんなことをされたんでカチンときて、もういいですって気持ちになったんです」
以降、西武との交渉は“自力”で行ったそうだ。「スカウトの方とは別の日に改めて沼津で食事をしました。当時、お世話になっていた沼津の歯医者の先生に『後見人になってください』とお願いして、その先生を介して、話を進めるようにしたんですよ。だから会社は(西武との交渉に)一切、入っていなかったんです」。
プロ入りへ向けて杉本氏の背中を押したのが、1979年のインターコンチネンタルカップ日本代表でチームメートだった同い年の日本通運・駒崎幸一外野手からの電話だった。「駒崎に『杉、お前、どうするの』と聞かれて『まだ何も考えていない』と言ったら『俺、ドラフト外で西武に入るんだけどな』って言うんですよ。契約金とかを聞いたら5000万とか言うので、ドラフト外でそうなら、俺にもそれぐらい出るんだろうなと思ったわけです」。
プロで活躍する自信はなかったそうだが「仮にプロで失敗しても3年間は我慢してやって、25歳で帰ってきてもまだやり直しはきく。それなら、お金をもらいに行こうって思った」と明かす。杉本氏は御殿場西高時代に広島からドラフト外で誘われて断ったが「その時に広島から言われた契約金は500万だったから、3年間で10倍になったんだなと思いながら、プロに行こうという気持ちが強くなったんです」と当時の正直な思いを口にした。
さらに「石毛(宏典)さんがドラフト1位で西武に入ることもありました」と杉本氏は話す。プリンスホテルの内野手で3歳年上の石毛氏ともインターコンチでチームメートになり面識があった。「石毛さんは『将来的にはアマチュアの指導者になりたい』って言っていたんですよ。そこまで言っていた人が西武に入るのだから、よっぽど魅力がある球団なんだなと思って、それも踏まえて僕も西武に行きたいと思いました」。
最後の一押しは父からのGOサインだった。「(西武監督の)根本(陸夫)さんが家に来てくれて、父と話してくれたんです。根本さんは野球の話を一切せずに、どうやって調べたのかわかりませんが、父の趣味である釣りとかの、そういう話ばかりするんですよ。で、根本さんが帰られた後、父が『もう何も言わんで根本さんのところへ行け、西武へ行け』って。『じゃあ、そうする』といって西武に行くことを決めたんです」。
大昭和製紙側にも理解してもらったという。「プロに行くという方向性を出した時に、会社には『円満退社でお願いします』と話をしてOKを出してもらいました」。こうして杉本氏は西武に進んだ。ドラフト当日さえもプロを意識していなかったところから一気に状況が変わった。「西武のスカウトの方から後で聞いたんですけど、当初西武は、僕をドラフト外で獲るつもりだったそうです。だけど、ヤクルトが指名しそうだから獲っとけとなったそうです」。
そして、笑いながらこう続けた。「(西武の)スカウトの方の話では、ヤクルトは僕を野手で獲ろうとしたらしいんです。足は遅いし、守れないし、使えるわけないのになぁ、って思いましたけどね」。振り返れば、ドラフト指名後の“別室待機”の件がなかったら、その年のプロ入りを選択しなかったかもしれない。いろんなことが重なっての運命の分かれ道だったようだ。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)