FIFAクラブワールドカップ2025の幕が開いた。熱戦はおよそ1カ月にわたって続く。
「世界各地の32クラブが出場」「開催期間は約1カ月」と史上最大規模で行われるこの大会は、これまでと何が違うのだろうか。そして、どんな可能性を秘めているのだろうか。
公私にわたってこの大会に関わってきたライターが、その思いを綴る。
文=細江克弥
ついに最終形態、だろうか。
いよいよ幕を開けたFIFAクラブワールドカップ2025。生まれ変わった「クラブの世界一決定戦」は、その派手さによってすべての過去を圧倒しまくるとんでもないコンペティションだ。
賞金総額は前代未聞の約1500億円。優勝賞金は最大約176億円。AFCチャンピオンズリーグ2022を制して出場権を獲得した浦和レッズは、参加賞金だけでも約14億円を手に入れることができるらしい。マジかよ。
舞台は1年後にFIFAワールドカップの共催を控えるアメリカ。独占配信権を獲得したイギリスの配信プラットフォーム『DAZN』は全63試合を(!)全世界に(!)無料で(!)ライブ配信することを約束しているという。マジかよ。
オープニングゲームはインテル・マイアミ(アメリカ)とアル・アハリ(エジプト)の対戦だった。前者はあのデイヴィッド・ベッカムがオーナーを務め、リオネル・メッシとルイス・スアレスとセルヒオ・ブスケッツを擁する開催国代表だ。華やかな幕開けだけが期待される中で、しかしアフリカ王者との攻防は想像以上にクールな試合運びによって0-0で決着した。マジかよ。
とにかく読めない。
ドイツのバイエルンがニュージーランドのオークランド・シティに10-0で勝ったり、今シーズンのヨーロッパ王者であるフランスのパリ・サンジェルマンがアトレティコ・マドリードに4-0で完勝したり、アルゼンチンのボカ・ジュニアーズとポルトガルのベンフィカによる名門対決が互いに退場者を出しながら2-2のドローに終わったり。
しかし2日目を終了した時点で、僕は謎の面白さを感じている。この感覚は他のどのコンペティションからも得られない気がするのだが、皆さんはいかがだろう。
(C)Getty Images
個人的には、そもそも“クラブの世界一決定戦”が好きだ。
“第1形態”は1960年に始まった『インターコンチネンタルカップ』。ヨーロッパ王者と南米王者による文字どおりの世界一決定戦は、1981年から中立地の日本で開催されるようになった。だからこの別称『トヨタカップ』は、日本のおじさんファンたちにとって特になじみが深い。もっと言えば、“今でもサッカーが大好きな自分”にとっての根源的エネルギーになっていたりもする。
もちろん僕もその一人だ。
1990年12月9日にミラン(イタリア)対オリンピア(パラグアイ)を、1996年11月26日にユヴェントス(イタリア)対リーベル・プレート(アルゼンチン)を国立競技場のスタンドで観た。
オランダトリオに夢中だった父親に連れられた11歳と、「どうかこの日だけは」とサッカー部の練習をサボった17歳。フランク・ライカールトとアレッサンドロ・デル・ピエロのゴールをすぐそこで目撃し、カルチョの世界への興味を深めた。
“第2形態”は、2000年に一度だけ開催された『FIFAクラブ世界選手権』と、2005年に再開し、2006年からようやく名称が固まった『FIFAクラブワールドカップ』だ。幸運にも、これには主に仕事として関わることができた。
2005年からの4大会はオフィシャルガイドブックの制作に編集者として携わり、大会当日は販売スタッフとしてブースに立った。
そこで感じたのは“海外からやってくるファンの本気”だ。なかでも、はるばる南米からやって来るサポーターのエネルギーはすごい。「日本に来るために家を売った」だの「兄の車を内緒で売った」だの「だからその本、安く譲ってくれ」だの、サッカーに対する情熱が違う。愛するクラブに対する愛の深さが違う。ガイドブックの販売スタッフだからこそできるそんなコミュニケーションが、むしろ試合を観るより面白く感じられることさえあった。
取材者としては、柏レイソルを追いかけた2011年決勝バルセロナ vs サントスに衝撃を受けた。メッシよりチャビよりアンドレス・イニエスタより、それから19歳のネイマールよりも「圧倒的にとんでもねえ!」と感じたのは、24歳のセスク・ファブレガスだった。あれほどまでに自分の体を相手に触らせない選手を、僕は見たことがなかった。
(C)Getty Images
ぶっちゃけ、これまでのFIFAクラブワールドカップは“外野”から見れば「余興」の印象をぬぐい去れなかった。
どうせ決勝はヨーロッパ王者と南米王者の対決になる。その両者にさえ力の差がある。もしもその他4つの大陸王者と開催国代表が番狂わせを起こしたところで、それは本気度の差がもたらしたちょっとした偶然というか……みたいな。
しかし日本で、主に日本サッカーの取材者として活動していると、気づくことがある。
Jリーグのクラブにとっても、そこで働く人々にとっても、もちろんコーチングスタッフや選手、おそらくはサポーターにとっても“クラブの世界一決定戦”はとてつもなく大きな目標であり、あまりにもまぶしい夢であり、それでいて現実的に想像し、モチベーションに変換することができる一つのゴールなのだ。つまり“外野”が思っているよりもはるかに、当事者たちはこの舞台の価値を感じているし、本気でそこを目指している。
事実、僕自身が国立競技場であのライカールトのゴールを目撃した1990年トヨタカップからの35年間で、日本と世界の頂点の距離は劇的に縮まった。
夢だけが原動力だ。
日本一になりたい。アジアナンバーワンになりたい。世界の舞台で戦いたい。全世界的に見てその盛り上がりがイマイチだったとしても、Jリーグのクラブはアジア制覇の先にある『FIFAクラブワールドカップ』を真剣に目指すことで、クラブとしても、チームとしても、選手一人ひとりとしても着実なレベルアップを遂げてきた。その結果として、35年前は憧れの眼差しで“観ているだけ”だった世界一決定戦の舞台に、自ら立ち、そこで戦う資格を得た。
その経験から考察できる。
ついに最終形態――かもしれない新フォーマットのFIFAクラブワールドカップは、夢を見る当事者を爆発的に増やすことで、これまでの懸念点であった“イマイチな盛り上がり”を解消し、サッカーそのもののレベルを世界規模で押し上げるきっかけになるかもしれない。
派手すぎる最終形態にはもちろん賛否両論ある。
主な「賛」はサッカー界の経済的活性を促す刺激としての必要論。主な「否」は選手ファーストの観点に立ったスケジューリングの危うさだ。その是々非々の真剣な議論はもちろん必要であることを前提として、僕自身も「ホントに大丈夫?」と疑いの目を向けながらも少しワクワクし始めている。
もしかしたら、何かが大きく変わるかも。
普段はヨーロッパのサッカーばかり観ているから、僕はこの大会で“それ以外”のチームと選手をじっくり観たい。で、そのクラブとチームと選手と国と、もっと言えば大陸の変化を予想したい。
莫大な賞金が動くとはいえ、激動のシーズンを終えたばかり、かつ来シーズンのチーム編成真っただ中のヨーロッパ組はモチベーションをコントロールするのが難しいだろう。彼らがこの大会の可能性と価値に気づいていない今がチャンスだ。だから“それ以外”に注目している。たとえ偶発的な番狂わせであっても、前回大会までのそれとは重みが違う。
“クラブの世界一決定戦”は本当に最終形態にたどり着いたのだろうか。今のところはまだ、その可能性を想像してワクワクしている。